当庄内能楽館は、前理事長故池田康子が私財を投じて昭和52年(1977年)に建設し、昭和54年(1979年)に法人登録して正式に活動を開始しました。当初は稽古目的で作られ、現在の舞台部分のみでしたが、次第に拡張、増築して現在の形になりました。
その後、種々の事情に加え母である前理事長の病気によって長い休眠期間に入りました。
そして、当時の担当税理士より公益財団法人に移行しないと国から解散を命じられてしまうとの言葉を受け、焦ると同時に何とも気の重くなる心持で徐々に行動を開始しました。教育委員会が交渉先でしたが、難航が伝えられ、うんざりしたものです。理由は「これから長い期間続ける気があるのか」また、「続けることができるのか、(可能なのか)」という2点に絞られているようでした。
外濠を埋めるといった風情でとにかく理事、評議員の人選に入りました。その際お世話になり多大な貢献をして頂いた1人が、致道博物館の館長、酒井忠久氏であり、地元の愛好家の方々を紹介して下さり、そこから理事会、評議委員会が発足し、加えて、創設当時館長だった升田正造氏の助言協力を受け、さらに現在の活動の主力を形成する宝生会の御宗家宝生和英師に御協力して頂き(当時御宗家は、今でもお若いがまだ20代であり、その若さに担当者共々非常に驚いたのであった)ようやくのこと、ほとんど、感情的には説き伏せるような感じで認可をもらったのでした。
当初は、地元の愛好家の方々に講師になって頂き能楽教室として活動を開始しました。実質上の活動は平成24年7月〜8月の「夏休み親子仕舞教室」を宝生会にほとんど無理強いというより、いわゆる‘ムチャ振り’をするような形で実施してから、今では最多で30人を超える参加者を得るまでになり、充実した活動ができるようになりました。
そして「教室」が充実するのに比べ、「公演」が物足りないので、その強化の流れの中で、この40周年記念公演の話が持ち上がってきたのでした。もともと「40周年だから大きな公演をやろう!」ではなく、「大きい公演をやろう!よくよく数えてみれば40年経っている…」というところですが、いずれにせよこれで庄内地域全体の活性化に貢献出来、庄内能楽館の知名度が上がれば、これほど喜ばしいことはありません。
皆さん、この公演ももちろんですが、その後も当館へお越し下さい。首を長くしてお待ちしています。
その他の活動について
次年度より、講師が見つからず長らく使用されていなかった舞台裏の楽焼小屋を使って「陶芸教室」を月2回開講すべく現在準備中です。
ちなみに、「楽焼」と「陶芸」は基本的に別物だそうで、釉薬や焼く温度も違うとのこと。
また「陶芸」とは別に、東京より講師を招いて、月1回の「楽焼教室」も開講出来ないか現在模索中です。